左川ちか詩集

 

 

昆虫

 

昆虫が電流のやうな速度で繁殖した。

地殻の腫物をなめつくした。

 

美麗な衣裳を裏返して、都会の夜は女のやうに眠つた。

 

私はいま殻を乾す。

鱗のやうな皮膚は金属のやうに冷たいのである。

 

顔半面を塗りつぶしたこの秘密をたれもしつてはゐないのだ。

 

夜は、盗まれた表情を自由に廻転さす痣のある女を有頂天にする。

 

 

 

朝のパン

 

朝、私は窓から逃走する幾人もの友等を見る。

 

緑色の虫の誘惑。果樹園では靴下をぬがされた女が殺される。朝は果樹園のうし

からシルクハツトをかぶつてついて来る。緑色に印刷した新聞紙をかかへて。

 

つひに私も丘を降りなければならない。

街のカフエは美しい硝子の球体で麦色の液の中に男等の一群が溺死してゐる。

彼等の衣服が液の中にひろがる。

 

モノクルのマダムは最後の麺麭を引きむしつて投げつける。

 

 

 

私の写真

 

突然電話が来たので村人は驚きました。

ではどこかへ移住しなければならないのですか。

村長さんはあわてて青い上着を脱ぎました。

やはりお母さんの小遣簿はたしかだつたのです。

さやうなら青い村よ! 夏は川のやうにまたあの人たちを追ひかけてゆきました。

 

たれもゐないステーシヨンへ赤いシヤツポの雄鶏が下車しました。

 

 

 

錆びたナイフ

 

青白い夕ぐれが窓をよぢのぼる。

ランプが女の首のやうに空から吊り下がる。

どす黒い空気が部屋を充たす――一枚の毛布を拡げてゐる。

書物とインキと錆びたナイフは私から少しづつ生命を奪ひ去るやうに思はれる。

 

すべてのものが嘲笑してゐる時、

夜はすでに私の手の中にゐた。

 

 

 

黒い空気

 

夕暮が遠くで太陽の舌を切る。

水の中では空の街々が笑ふことをやめる。

総ての影が樹の上から降りて来て私をとりまく。林や窓硝子は女のやうに青ざめ

る。夜は完全にひろがつた。乗合自動車は焰をのせて公園を横切る。

 

その時私の感情は街中を踊りまはる

悲しみを追ひ出すまで。

 

 

 

雪が降つてゐる

 

私達の階上の舞踊会!!

 

いたづらな天使等が入り乱れてステツプを踏む其處から死のやうに白い雪の破片

が落ちて来る。

 

死は柊の葉の間にゐる。屋根裏を静かに這つてゐる。私の指をかじつてゐる。気

づかはしさうに。そして夜十二時――硝子屋の店先ではまつ白い脊部をむけて倒

れる。

 

古びた恋と時間は埋められ、地上は貪つてゐる。

 

 

 

緑の焰

 

私は最初に見る 賑やかに近づいて来る彼らを 緑の階段をいくつも降りて 其

處を通つて あちらを向いて 狭いところに詰つてゐる 途中少しづつかたまつ

て山になり 動く時には麦の畑を光の波が畝になつて続く 森林地帯は濃い水液

が溢れてかきまぜることが出来ない 髪の毛の短い落葉松 ていねいにペンキを

塗る蝸牛 蜘蛛は霧のやうに電線を張つてゐる 総ては緑から深い緑へと廻転し

てゐる 彼らは食卓の上の牛乳壜の中にゐる 顔をつぶして身を屈めて映つてゐ

る 林檎のまはりを滑つてゐる 時々光線をさへぎる毎に砕けるやうに見える

街路では太陽の環の影をくぐつて遊んでゐる盲目の少女である。

 

私はあわてて窓を閉ぢる 危険は私まで来てゐる 外では火災が起つてゐる 美

しく燃えてゐる緑の焰は地球の外側をめぐりながら高く拡がり そしてしまひに

は細い一本の地平線にちぢめられて消えてしまふ

 

体重は私を離れ 忘却の穴の中へつれもどす ここでは人々は狂つてゐる 悲し

むことも話しかけることも意味がない 眼は緑色に染まつてゐる 信じることが

不確になり見ることは私をいらだたせる

 

私の後から目かくしをしてゐるのは誰か? 私を睡眠へ突き墜せ。

 

 

 

出発

 

夜の口が開く森や時計台が吐き出される。

太陽は立上つて青い硝子の路を走る。

街は音楽の一片に自動車やスカアツに切り

鋏まれて飾窓の中へ飛び込む。

果物屋は朝を匂はす。

太陽はそこでも青色に数をます。

 

人々は空に輪を投げる。

太陽等を捕へるために。

 

 

 

青い馬

 

馬は山をかけ下りて発狂した。その日から彼女は青い食物をたべる。夏は女達の

目や袖を青く染めると街の広場で楽しく廻転する。

テラスの客等はあんなにシガレツトを吸ふのでブリキのやうな空は貴婦人の頭髪

の輪を落書きしてゐる。悲しい記憶は手巾のやうに捨てようと思ふ。恋と悔恨と

エナメルの靴を忘れることが出来たら!

私は二階から飛び降りずに済んだのだ。

海が天にあがる。

 

 

 

緑色の透視

 

一枚のアカシヤの葉の透視

五月 其處で衣服を捨てる天使ら 緑に汚された脚 私を追ひかける微笑 思ひ

出は白鳥の喉となり彼女の前で輝く

 

いま 真実はどこへ行つた

夜露でかたまつた鳥らの音楽 空の壁に印刷した樹らの絵 緑の風が静かに払ひ

おとす

歓楽は死のあちら 地球のあちらから呼んでゐる 例へば重くなつた太陽が青い

空の方へ落ちてゆくのを見る

 

走れ! 私の心臓

球になつて 彼女の傍へ

そしてテイカツプの中を

 

――かさなり合つた愛 それは私らを不幸にする 牛乳の皺がゆれ 私の夢は上

昇する

 

 

 

死の髯

 

料理人が青空を握る。四本の指跡がついて、

――次第に鶏が血をながす。ここでも太陽はつぶれてゐる。

たづねてくる青服の空の看守。

日光が駆け脚でゆくのを聞く。

彼らは生命よりながい夢を牢獄の中で守つてゐる。

刺繍の裏のやうな外の世界に触れるために一匹の蛾となつて窓に突きあたる。

死の長い巻鬚が一日だけしめつけるのをやめるならば私らは奇蹟の上で跳びあが

る。

 

死は私の殻を脱ぐ。

 

 

 

季節のモノクル

 

病んで黄熱した秋は窓硝子をよろめくアラビヤ文字。

すべての時は此處を行つたり来たりして、

彼らの虚栄心と音響をはこぶ。

雲が雄鶏の思想や雁来紅を燃やしてゐる。

鍵盤のうへを指は空気を弾く。

音楽は慟哭へとひびいてさまよふ。

またいろ褪せて一日が残され、

死の一群が停滞してゐる。

 

 

 

青い球体

 

鉄槌をもつて黒い男が二人ゐる。

向ふの端とこちらで乱暴にも戸を破る。

朝はそこにゐる、さうすれば彼らの街が並べられる

ペンキ屋はすべてのものに金を塗る。

鎧戸と壁に。

林檎園は金いろのりんごが充ちてゐる。

その中を彼女のブロンドがゆれる。

庭の隅で向日葵がまはつてゐる、まはりながら、まはりながら、部屋の中までこ

ろげこみ大きな球になつて輝く。

太陽はかかへ切れぬ程の温いパンで、私らはそれ等の家と共に地平線に乗つて世

界一周をこころみる。

 

 

 

断片

 

雲の軍帽をかぶつた青い士官の一隊がならんでゐる。

無限の穴より夜の首を切り落す。

空と樹木は重なり合つて争つてゐるやうに見える。

アンテナはその上を横ぎつて走る。

花びらは空間に浮いてゐるのだらうか?

正午、二頭の太陽は闘技場をかけのぼる。

まもなく赤くさびた夏の感情は私らの恋も断つだらう。

 

 

 

ガラスの翼

 

人々が大切さうに渡していつた硝子の翼にはさんだ恋を、太陽は街かどで毀して

しまふ。

空は窓に向つて立つてゐる、ヴエンチレエタアのまはるたびにいろが濃くなる。

木の葉は空にある、それは一本の棒を引いてゐる、屋根らは凭りかかつて。

ふくらんだ街路を電車は匍ひ、空中の青い皺の間を旋廻する水兵の襟。

盛装して夏の行列は通りすぎフラスコの中へ崩れる。

私らの心の果実は幸福な影を降らしてゐる。

 

 

 

循環路

 

ほこりでよごされた垣根が続き

葉等は赤から黄に変る。

思ひ出は記憶の道の上に堆積してゐる。白リンネルを拡げてゐるやうに。

季節は四個の鍵をもち、階段から滑りおちる。再び入口は閉ぢられる。

青樹の中はがらんどうだ。叩けば音がする。

夜がぬけ出してゐる時に。

その日、

空の少年の肌のやうに悲しい。

永遠は私達のあひだを切断する。

あの向ふに私はいくつもの映像を見失ふ。

 

 

 

幻の家

 

料理人が青空を握る。四本の指あとがついて、次第に鶏が血をながす。ここでも

太陽はつぶれてゐる。

たづねてくる空の看守。日光が駆け出すのを見る。

たれも住んでないからつぽの白い家。

人々の長い夢はこの家のまはりを幾重にもとりまいては花瓣のやうに衰へてゐた。

死が徐ろに私の指にすがりつく。夜の殻を一枚づつとつてゐる。

この家は遠い世界の遠い思ひ出へと華麗な道が続いてゐる。

 

 

 

記憶の海

 

髪の毛をふりみだし、胸をひろげて狂女が漂つてゐる。

白い言葉の群が薄暗い海の上でくだける。

破れた手風琴、

白い馬と、黒い馬が泡だてながら荒々しくそのうへを駈けてわたる。

 

 

 

青い道

 

涙のあとのやうな空。

陸の上にひろがつたテント。

恋人が通るために白く道をあける。

 

染色工場!

 

あけがたはバラ色に皮膚を染める。

コバルト色のマントのうへの花束。

夕暮の中でスミレ色の瞳が輝き、

喪服をつけた鴉らが集る。

おお、触れるとき、夜の壁がくづれるのだ。

 

それにしても、泣くたびに次第に色あせる。

 

 

 

冬の肖像

 

 北国の陸地はいま懶くそして疲れてゐる。山や街は雪に埋められ、目覚めよう

ともしないで静かな鈍い光の中でゆつくりと、ゆつくりと次第に眠りを深めてゐ

る。空と地上は灰色に塗りつぶされて幾日も曇天が続く。太陽が雲の中へうまつ

てゐる間は雪そのものが発するやうに思はれる弱い光――輝きの失せた、妙に冷

たくおとろへた光が這ふやうにして窓硝子を通つて机の上の一冊の本に注いでゐ

る。ところどころ斑点をつけた影をつくりながら震へてゐる。同じ場處に落着か

ずにたえずいらいらして文字を拾つてゐるやうに見える。すべての影はぼんやり

と消えさうな不安な様子をしてゐる。屋根の傾斜に沿つて雪が積り、雪でつくら

れた門の向ふに家がある。裸の林、長い間おき忘れてゐた道端の樹等は私達をむ

かへるために動かうとする一枚の葉をももつてゐない。ただ箒を並べたやうに枯

れた枝は上へ上へと伸びてゐる。

 (躑躅、林檎、桃等が地肌から燃えたつやうに花を開いては空気の中にあざや

かに浮びあがる)(其處の垣根は山吹の花で縁取られ、落葉松は細かに鋏んだ天

鵞絨の葉を緑に染めてゐる)さうしたものらが目を奪ふやうなはなやかさで地面

を彩つてゐたことを、厚く重なり、うす黒く汚れてゐる雪の中にゐて誰が思ひ出

すだらう。遠い世界の再びかへらぬ記憶として人々は保つてゐるのに違ひない。

そしてしまひには幾十年も住み馴れたやうに思ひこんで自分のまはりにだけ輪を

描いてゐるのだ。丘を越えると飜つてゐる緑の街や明滅する広告塔のあることに

も気付かずに老いてしまふ。そのあとを真白に雪がつもる。ひとたび雪に埋めら

れた地上は起き上る努力がどんなものか知つてゐるのだらうか? 総ては運動を

停止し、暗闇の中でかすかに目をあけ、そしてとぢる。鳥等は羽をひろげたまま、

河は走ることをやめてゐる。それは長い一日のやうに思はれた。雲が動いてゐる

ことを見出すだけでも喜びであつたから。終日雪が降つてゐる。木から屋根へま

つすぐに、或は吹き流されて隣へ隣へと一方が降りだすと真似をしたやうに次々

伝染してゆくやうだ。空はひくく地上に拡つて、遠くの海なりに調子を合せて上

つたり下つたりしてゐるのだ。空を支へてゐる木たちがその重さに耐へられない

やうな時に雪が降るやうに思はれる。どんなに踏み分けて進んでも奥の方がわか

らない程降つてゐるので、そばを通る人も近くの山も消え去つてしまふ雪の日で

ある。

 時々空の破れめから太陽が顔を現しても日脚はゆつくりと追ひかけてでもゐる

やうに枯れた雑木林を風のあとのやうに裏返しながら次第に色を深めてゐる。其

處は夢の中の廊下のやうに白い道であつた。触れる度に両側の壁が崩れるやうな

気がする。並木は影のやうに倒れかかつて。その路をゆく人影は私の父ではある

まいか。呼びとめても振り返ることのない脊姿であつた。夜目にも白く浮んでゐ

る雪路、そこを辿るものは二度と帰ることをゆるされないやうに思はれる。幾人

もの足跡を雪はすぐ消してしまふ。死がその辺にゐたのだ。人々の気付かぬうち

に物かげに忍びよつては白い手を振る。深い足跡を残して死が通りすぎた。優し

かつた人の死骸はどこに埋つてゐるのか。私達の失はれた幸福もどこかにかくさ

れてゐる。朝、雪の積つた地上が美しいのはそのためであつた。私達の夢を掘る

やうなシヤベルの音がする。

 風であつたのか。戸を叩くやうな音で目覚める。カアテンを開けると窓硝子が

白い模様をつけて、その向ふではげしく雪が降つてゐる。

 

 

 

白と黒

 

白い箭が走る。夜の鳥が射おとされ、私の瞳孔へ飛びこむ。

たえまなく無花果の眠りをさまたげる。

沈黙は部屋の中に止ることを好む。

彼らは燭台の影、挘られたプリムラの鉢、桃花心木の椅子であつた。時と焰が絡

みあつて、窓の周囲を滑走してゐるのを私はみまもつてゐる。

おお、けふも雨の中を顔の黒い男がやつて来て、

私の心の花苑をたたき乱して逃げる。

長靴をはいて来る雨よ、

夜どほし地上を踏み荒らしてゆくのか。

 

 

 

五月のリボン

 

窓の外で空気は大聲で笑つた

その多彩な舌のかげで

葉が群になつて吹いてゐる

私は考へることが出来ない

其處にはたれかゐるのだらうか

暗闇に手をのばすと

ただ 風の長い髪の毛があつた

 

 

 

神秘

 

ゴルフリンクでは黄金のデリシアスがころがる。地殻に触れることを避けてゐる

如く、彼らは旋廻しつつ飛び込む。空間は彼らの方向へ駈け出し、或は風は群に

なつて騒ぐ。切断面の青。浮びあがる葉脈のやうな手。かつて夢は夜の周囲をま

はつてゐたやうに、人々の希望は土壌となつて道ばたにつみあげられるだらう。

影は乱れ、草は乾く。蝶は二枚の花びらである。朝に向つて咲き、空白の地上を

埋めてゆく。私らは一日のためにどんな予測もゆるされない。樹木はさうである

やうに。そして空はすべての窓飾であつた。カアテンを引くと濃い液体が水のや

うにほとばしりでる。

あ、また男らは眩暈する。

 

 

 

蛋白石

 

入口の前でたちどまり

窓を覗きこんでは

いくたびもふりかへりながら

帰つてゆく黄昏。

川のそばでは緩慢なワルツを奏でる。

木靴の音が壁を叩いてゐる。

しめつた空気が頬をながれ

水溜を雲がわたる。

私の視力はとまつてしまひさうだ。

 

 

 

 

真昼の裸の光の中でのみ崩壊する現実。すべての梣は白い骨である。透明な窓に

脊を向けて彼女は説明することが出来ない。只、彼女の指輪は幾度もその反射を

繰り返した。華麗なステンドグラス。虚飾された時間。またそれ等は家を迂廻し

て賑やかな道をえらぶだらう。汗ばんだ暗い葉。その上の風は跛で動けない。闇

の幻影を拒否しながら、私は知る。人々の不信なことを。外では塩辛い空気が魂

をまきあげてゐる。

 

 

 

白く

 

芝生のうへを焰のやうにゆれ

アミシストの釦がきらめき

あなたはゆつくりと降りてくる

山鳩は失つた聲に耳を傾ける。

梢をすぎる日ざしのあみ目。

緑のテラスと乾いた花卉。

私は時計をまくことをおもひだす。

 

 

 

 

朝のバルコンから 波のやうにおしよせ

そこらぢゆうあふれてしまふ

私は山のみちで溺れさうになり

息がつまつていく度もまへのめりになるのを支へる

視力のなかの街は夢がまはるやうに開いたり閉ぢたりする

それらをめぐつて彼らはおそろしい勢で崩れかかる

私は人に捨てられた

 

 

 

眠つてゐる

 

髪の毛をほぐすところの風が茂みの中を駈け降りる時焰となる。

彼女は不似合な金の環をもつてくる。

まはしながらまはしながら空中に放擲する。

凡ての物質的な障碍、人は植物らがさうであるやうにそれを全身で把握し征服し

跳ねあがることを欲した。

併し寺院では鐘がならない。

なぜならば彼らは青い血脈をむきだしてゐた、脊部は夜であつたから。

私はちよつとの間空の奥で庭園の枯れるのを見た。

葉からはなれる樹木、思ひ出がすてられる如く。あの茂みはすでにない。

日は長く、朽ちてゆく生命たちが真紅に凹地を埋める。

それから秋が足元でたちあがる。

 

 

 

The mad house

 

自転車がまはる。

爽かな野道を。

護謨輪の内側のみが地球を疲らせる。

まもなく彼はバグダアドに到着する。

其處は非常ににぎはつてゐる。

赤衛軍の兵士ら、縮毛の芸術家、皮膚の青いリヤザン女、キヤバレの螺旋階段。

ピアノはブリキのやうな音をだす。

足型だけの土塊の上にたつてゐる人々は尖つた水晶体であらう。踏みはづすと死

ぬ。太陽の無限の伝播作用。

病原地では植物が渇き、荒廃した街路をかけてゐる雲。

彼にとつて過去は単なる木々の配列にすぎぬやうに、また灰のやうに冷たい。

入口の鵞鳥の羽、さかしまな影。

 

私は生きてゐる。私は生きてゐると思つた。

 

 

 

雲のかたち

 

銀色の波のアアチをおしあけ

行列の人々がとほる。

 

くだけた記憶が石と木と星の上に

かがやいてゐる。

 

皺だらけのカアテンが窓のそばで

集められそして引き裂かれる。

 

大理石の街がつくる放射光線の中を

ゆれてゆく一つの花環。

 

毎日、葉のやうな細い指先が

地図をかいてゐる。

 

 

 

 

単調な言葉はこはれた蓄音機のやうに。

草らは真青な口をあけて笑ひこける。

その時静かに裳がゆれる。

道は白く乾き

彼らは疲れた足をひきずる。

枸杞色の髪の毛が流れる方へ。

 

 

 

雪の日

 

毎日蝶がとんでゐる。

窓硝子の花模様をかきむしつては

あなたの胸の上にひろがる

パラソルへあつまつてゆく。

すぎ去る時に白くうつつて

追ひかけても 追ひかけても

遠い道である。

 

 

 

鐘のなる日

 

終日

ふみにじられる落葉のうめくのをきく

人生の午後がさうである如く

すでに消え去つた時刻を告げる

かねの音が

ひときれひときれと

樹木の身をけづりとるときのやうに

そしてそこにはもはや時は無いのだから

 

 

 

憑かれた街

 

思ひ出の壮大な建物を

あらゆる他のほろびたものの上に

喚び起こし、待ちまうけ、希望するために。

我々の想念を空しくきづいてゐる美は、

時の限界の中で

すべての彼らの悲しみは

けつして語られることはないだらう。

併し地上は花の咲いたリノリユムである。

羊の一群が野原や木のふちを貪つて

のつそりと前進しながら

路上に押しあげられ よろめき

彼等はその運動を続けてゐる。

冬時にすべてのものは

魂の投影にすぎない。

魂の抱擁、

しめつた毛糸のやうにもつれながら。

 

 

 

 

水夫が笑つてゐる。

歯をむきだして

そこらぢゆうのたうちまはつてゐる

バルバリイの風琴のやうに。

倦むこともなく

彼らは全身で蛇腹を押しつつ

笑ひは岸辺から岸辺へとつたはつてゆく。

 

我々が今日もつてゐる笑ひは

永劫のとりこになり

沈黙は深まるばかりである。

舌は拍子木のやうに単純であるために。

いまでは人々は

あくびをした時のやうに

ただ口をあけてゐる。

 

 

 

雲のやうに

 

果樹園を昆虫が緑色に貫き

葉裏をはひ

たえず繁殖してゐる。

鼻孔から吐きだす粘液、

それは青い霧がふつてゐるやうに思はれる。

時々、彼らは

音もなく羽搏きをして空へ消える。

婦人らはいつもただれた目付で

未熟な実を拾つてゆく。

空には無数の瘡痕がついてゐる。

肘のやうにぶらさがつて。

そして私は見る、

果樹園がまん中から裂けてしまふのを。

そこから雲のやうにもえてゐる地肌が現はれる。

 

 

 

毎年土をかぶらせてね

 

ものうげに跫音もたてず

いけがきの忍冬にすがりつき

道ばたにうづくまつてしまふ

おいぼれの冬よ

おまへの頭髪はかわいて

その上をあるいた人も

それらの人の思ひ出も死んでしまつた。

 

 

 

目覚めるために

 

春が薔薇をまきちらしながら

我々の夢のまんなかへおりてくる。

夜が熊のまつくろい毛並を

もやして

残酷なまでにながい舌をだし

そして焰は地上をはひまはり。

 

死んでゐるやうに見える唇の間に

はさまれた歌ふ聲の

――まもなく天上の花束が

開かれる。

 

 

 

花咲ける大空に

 

それはすべての人の眼である。

白くひびく言葉ではないか。

私は帽子をぬいでそれ等をいれよう。

空と海が無数の花瓣(はなびら)をかくしてゐるやうに。

やがていつの日か青い魚やばら色の小鳥が私の頭をつき破る。

失つたものは再びかへつてこないだらう。

 

 

 

雪の門

 

その家のまはりには人の古びた思惟がつみあげられてゐる。

――もはや墓石のやうにあをざめて。

夏は涼しく、冬には温い。

私は一時、花が咲いたと思つた。

それは年とつた雪の一群であつた。

 

 

 

単純なる風景

 

酔ひどれびとのやうに

揺れ動く雲の建物。

 

あの天空を走つてゐる

古い庭に住む太陽を私は羨む。

 

二頭の闘牛よ!

角の下で、日光は血潮のやうに流れる。

 

其處では或ものは金ピカの衣服をつけ

或ものは風のやうに青い。

 

その領土は時として

単純なる魂の墓場にすぎない。

 

昼間は空虚であるために、

もはや花びらは萎んで。

 

それから夜だ。

人々は家の中にゐる。

 

困惑と恐怖にをののき

無限から吹きよせて来る闇。

 

また種子どもは世界のすみずみに輝く。

恰も詩人が詩をまくやうに。

 

 

 

 

亜麻の花は霞のとける匂がする。

紫の煙はおこつた羽毛だ。

それは緑の泉を充たす。

まもなくここへ来るだらう。

五月の女王のあなたは。

 

 

 

舞踏場

 

私の耳のすべてで

私はきく

彼らが行つたり来たりしてゐる

胞子のやうに霧が空から降つてゐる

床の上のさわがしいステツプ

私は見た

花園が変つてゆくのを

 

 

 

暗い夏

 

 窓の外には鈴懸があつた。楡があつた。頭の上の葉のかげで空気がゆつくり渦

巻いてゐるのを私は見てゐる。いまにも落ちさうだ。毛糸のやうにもつれあがり、

薄い翼のある空気がレエスのカアテンを透して浮いてゐる。緑のふちかざりとな

つて。その黒いかたまりとかたまりの間からさしこむ陽が花びらや細い茎につき

あたるので庭の敷物は一面光にぬれてきらきらと輝いてゐる。それ等の光は再び

起きあがることを忘れたかのやうに室内へはほんのわづか反射してゐるだけであ

る。そのために部屋の中はうす暗くよごれてゐた。すべてのものは重心を失つて

室内から明るい戸外へと逃げる。其處は非常なすばやさでまはつてゐる。私は次

第に軽くなつてゆくのを感ずる。私の体重は庭の木の上にあつた。葉に粉末がつ

いてゐるのはほこりだらうか。葉らは地上の時の重さにたへかねてでもゐるやう

にして風に吹かれて揺れる。その掌をすりあはせながら。

 人はいつも湿つた暗い茂みの下を通る。無言で、膝を曲げて、ひどい前かがみ

になつて。街路はしづまりかへり犬は生籬沿ひにうろつきまはつてゐる。家は入

口をあけはなして地面に定着してゐる。スレエトが午後の黒い太陽のやうに汗ば

んでゐる。私はそれらのものをぼんやり見てゐる。私は非常に不安でたまらない。

それは私の全く知らないものに変形してゐるから。そして悪い夢にでもなやまさ

れてゐるやうに空の底の方へしつかりとへばりついてゐる。ただ樹木だけがそれ

らのものから生気を奪つて成長してゐる。私からすでに去つた街。私が外を眺め

てゐる間に、目に見えないものが私の肉体に住み、端から少しづつをかしてゐる

やうに思はれる。私は幾度もふりむいた。私は手をあげてゐるのに、指は着

はしを掴んでわづかに痙攣してゐた。何がこんなに私の頭をおしつけ重苦しくす

るのだらうか。どこかでクレエンが昇つたり降りたりしてゐる。木の葉を満載し

て。

 目が覚めると木の葉が非常な勢でふえてゐた。こぼれるばかりに。窓から新

紙が投げ込まれた。青色に印刷されてゐるので私は驚いた。私は読むことが出

ない。触れるとざらざらしてゐた。私はこの季節になると眼が悪くなる。すつ

り充血して、瞼がはれあがる。少女の頃の汽車通学。崖と崖の草叢や森林地帯

車内に入つて来る。両側の硝子に燃えうつる明緑の焰で私たちの眼球と手が真

に染まる。乗客の顔が一せいに崩れる。濃い部分と薄い部分に分れて、べつと

と窓辺に残された。草で出来てゐる壁に凭りかかつて私たちは教科書をひざの

で開いたまま何もしなかつた。私は窓から唾をした。丁度その時のやうに私は

ま、立つたり座つたりしてゐる。眼科医が一枚の皮膚の上からただれた眼を覗

た。メスと鋏。コカイン注射。私はそれらが遠くから私を刺戟する快さを感ずる。

医師は私のうすい網膜から青い部分だけを取り去つてくれるにちがひない。さう

すれば私はもつと生々として挨拶することも真直に道を歩くことも出来るのだ。

 杖で一つづつ床を叩く音がする。空家のやうに荒れてゐる家の中に退屈な淋し

さである。階段を昇つてゆく盲人であらう。この古い家屋はどこかゆるんでゐる

やうな板のきしむ音がする。孤独を楽しんでゐるかのやうに見える老人。いつも

微笑してゐる顔。絶望も卑屈もそこにはなかつた。そして私は昨日見た。窓のそ

ばの明るみで何か教へるやうな手つきをしてゐる彼を。(盲人は常に何かを探し

てゐる)彼の葉脈のやうな手のうへには無数の青虫がゐた。私はその時、硝子に

若葉のゆれるのを美しいと思つた。

 六月の空は動いてゐない。憂欝なまでに生ひ茂つてゐる植物の影に蔽はれて。

これらの生物の呼吸が煙のやうに谷間から這ひあがり丘の方へ流れる。茂みを押

分けて進むとまた別な新しい地肌があるやうに思はれる。毎日朝から洪水のやう

に緑がおしよせて来てバルコンにあふれる。海のあをさと草の匂をはこんで息づ

まるやうだ。風が葉裏を返して走るたびに波のやうにざわめく。果樹園は林檎の

花ざかり。鮮やかに空を限つて咲いてゐる。

 私はミドリといふ名の少年を知つてゐた。庭から道端に枝をのばしてゐる杏の

花のやうにずい分ひ弱い感じがした。彼は隔離病室から出て来たばかりであつた

から。彼の新しい普段着の紺の匂が眼にしみる。突然私の目前をかすめた。彼は

うす暗い果樹園へ駈けだしてゐるのである。叫び聲をたてて。それは動物の聲の

やうな震動を周囲にあたへた。白く素足が宙に浮いて。少年は遂に帰つてこなか

つた。

 

 

 

星宿

 

露にぬれた空から

緑の広い平野から

目覚めて

光は軟い壁のうへを歩いてゐる

夜の暗い空気の中でわづかに支へられながら

あたかも睡眠と死の境で踊つてゐた時のやうに

地上のあらゆるものは生命の影なのだ

その草の下で私らの指は合瓣花冠となつて開いた

無言の光栄 そして蠱惑の天に投じられたこの狂愚

今ではそれらは石塊に等しく私の頭を圧しつける

 

 

 

むかしの花

 

かつて海の胸に咲いた

併し今では殆ど色あせて

歳月がどこからかやつて来て

静かに滅んでゆくときとおなじく

すでにそれは見えない

少女らは指先で波の穂をかきあつめる

空しいひびきをたてて

 

 

 

他の一つのもの

 

アスパラガスの茂みが

午後のよごれた太陽の中へ飛びこむ

硝子で切りとられる茎

青い血が窓を流れる

その向ふ側で

ゼンマイのほぐれる音がする

 

 

 

背部

 

よるが色彩を食ひ

花たばはまがひものの飾を失ふ

日は輝く魚の如き葉に落ち

このひからびた嘲笑ふべき絶望の外に

育まれる無形の夢と樹を

卑賤な泥土のやうに踠き

切り倒された空間は

そのあしもとの雑草をくすぐる

煙草の脂で染まつた指が

うごめく闇を愛撫する

そして人が進み出る

 

 

 

葡萄の汚点

 

雲に蔽はれた眼が午後の揺り椅子の中で空中を飛ぶ黒い斑点を見てゐる。

歯型を残して、葉に充ちた枝がおごそかに空にのぼる。

かつて私の眼瞼の暗がりをかすめた、茎のない花が、

いまもなほ北国の歪んだ路を埋めてゐるのだらうか。

秋が粉砕する純粋な思惟と影。

私の肉体は庭の隅で静かにそれらを踏みつけながら、

滅びるものの行方を眺めてゐる。

樹の下で旋廻する翼がその無力な棺となるのを。

 

押しつぶされた葡萄の汁が

空気を染め、闇は空気に濡らされる。

蒼白い夕暮時に佇んで

人々は重さうに心臓を乾してゐる。

 

 

 

雪線

 

 古ぼけ色褪せたタイムが熱い種子となつて空間に散乱する。無言の形態をとび

こえ地上を横切る度に咲く花の血を吹きだしてゐる唇のうへでテクニツクの粉飾

を洗ひ落せ!!

 昨日の風を捨て約束にあふれた手を強く打ち振る枝は熱情と希望を無力な姿に

変へる。その屍の絶えまない襲撃をうけて、歩調をうばはれる人のために残され

た思念の堆積。この乾き切つた砂洲を渡る旅人の胸の栄光はもはや失はれ、見知

らぬ雪の破片が夜にとけこむ。何がいつまでも終局へと私を引摺つてゆくのか。

 

 

 

プロムナアド

 

季節は手袋をはめかへ

舗道を埋める花びらの

薄れ日の

午後三時

白と黒とのスクリイン

瞳は雲に蔽はれて

約束もない日がくれる

 

 

 

会話

 

 ――重いリズムの下積になつてゐた季節のために神の手はあげられるだらう。

起伏する波の這ひ出して来る沿線は塩の花が咲いてゐる。すべてのものの生命の

律動を渇望する古風な鍵盤はそのほこりだらけな指で太陽の熱した時間を待つて

ゐる。

 ――夢は夢見る者にだけ残せ。草の間で陽炎はその緑色の触毛をなびかせ、毀

れ易い影を守つてゐる。また、マドリガルの紫の煙は空をくもり硝子にする。

 ――木の芽の破れる音がする。大きな歓喜の甘美なる果実。人の網膜を叩く歩

調のながれ。

 ――真暗な墓石の下ですでに大地の一部となり喪失せる限りない色彩が現実と

花苑を乱す時刻を知りたいのだ。

 ――

 ――不滅の深淵をころがりながら幾度も目覚めるものに鬨聲となり、その音が

私を生み、その光が私を射る。この天の饗宴を迎へるべくホテルのロビイはサフ

ランで埋められてゐる。

 

 

 

遅いあつまり

 

口笛を吹くとまた空のかなたからやつて来る。限りない色彩におぼれることの無

いやうに。エメラルドやルビイやダイヤモンドの花びらが新しい輝きに充ちて野

山をめぐる。うなだれる草の細い襞が微風を送る。テラスは海に向つて開かれ、

数へ切れぬ程の湿つた会話がこぼれる。今はなく、時には鮮やかに。

 

 

 

天に昇る

 

停車場には靴下が乾かしてある

ユリカの枝にぶら下つて

気紛れな風が叢に跪拝する

幼樹のかげの雲はふみにじられ

北方に向つて星群が移動する

冬がいくたびも地上に墓石を据ゑた

その胸を飾る薔薇は燃えつくした灰である

熱情はやがて落魄せる時と共に

彼らの不在を告げるだらう

また彼らの眼の中の月光は

全く役にたたない代物だ

 

 

 

メーフラワー

 

ピアノの中は花盛り

ふれると鍵が動き出す

莫連芝草は犢の食物

Lilas の花は王冠

硝子の植物の間を

エスパーニユの貨幣が落ちる

 

 

 

暗い歌

 

咲き揃つた新しいカアペツトの上を

二匹の驢馬がトロツコを押して行く

静かに ゆつくりと

奢れる花びらが燃えてゐる道で

シルクの羽は花粉に染まり

彼女の爪先がふれる處は

白い虹がゑがかれる。

 

 

 

果実の午後

 

雨は木から葉を追ひ払つた

村では音楽を必要としない たとへ木は裸であらうとも、暗い地上を象牙の鍵(キイ)

打つてゐる彼らの輝かしい影の歩調を。

すでに終曲は荒れた芝生に、

丘の上を痘痕のある果物がころがつてゐる。

 

 

 

 

夢は切断された果実である

野原にはとび色の梨がころがつてゐる

パセリは皿の上に咲いてゐる

レグホンは時々指が六本に見える

卵をわると月が出る

 

 

 

午後

 

花びらの如く降る。

重い重量にうたれて昆虫は木陰をおりる。

檣壁に集まるもの、微風のうしろ、日射が波が響をころす。

骨骼が白い花をのせる。

思念に遮られて魚が断崖をのぼる。

 

 

 

海泡石

 

斑点のある空気がおもくなり、ventilator が空へ葉をふきあげる。

 

海上は吹雪だ。紙屑のやうに花葩をつみかさね、焦点のないそれらの音楽を鋪道

に埋めるために。乾いた雲が飾窓の向ふに貼りつけられる。

 

うなづいてゐる草に、 lantern の影、それから深い眠りのうへに、どこかで蝉が

ゼンマイをほぐしてゐる。

 

ひとかたまりの朽ちた空気は意味をとらへがたい叫びをのこしながら、もういち

ど帰りたいと思ふ古風な彼らの熱望、暗い夏の反響が梢の間をさまよひ、遠い時

刻が失はれ、かへつて私たちのうへに輝くやうにならうとは。

 

 

 

夏のをはり

 

八月はやく葉らは死んでしまひ

焦げた丘を太陽が這つてゐる

そこは自然のテンポが樹木の会話をたすけるだけなのに

都会では忘れられてゐた音響が波の色彩と形を考へる

いつものやうに牧場は星が咲いてゐる

牝牛がその群がりの中をアアチのかたちにたべてゆく

凍つた港からやつて来るだらう見えない季節が

しかもすべての人の一日が終らうとしてゐる

 

 

 

Finale

 

老人が脊後で われた心臓と太陽を歌ふ

その反響はうすいエボナイトの壁につきあたつて

いつまでもをはることはないだらう

蜜蜂がゆたかな茴香の花粉にうもれてゐた

夏はもう近くにはゐなかつた

森の奥で樹が倒される

衰へた時が最初は早く やがて緩やかに過ぎてゆく

おくれないやうにと

枯れた野原を褐色の足跡をのこし

全く地上の婚礼は終つた

 

 

 

素朴な月夜

 

ルーフガアデンのパイプオルガンに蝶が止つた

季節はづれの音節は淑女の胸をしめつける

花束は引きむしられる 火は燃えない

窓の外を鹿が星を踏みつけながら通る

海底で魚は天候を笑ひ 人は眼鏡をかける

ことしも寡婦になつた月が年齢を歎く

 

 

 

前奏曲

 

 雲に蔽はれた見えないところで木の葉が非常な勢で増えてゐる。いつの間に運

ばれるのかプラタナスも欅も新しい葉で一杯になり、生きものが蠢めいてゐるや

うに盛り上つてこぼれるばかりに輝いてゐる。遠くで見てゐると空気が俄かにか

き集められ、黒い塊がかさなり合つて暗がりをつくり、それが次第に丘の方に拡

つて茂みになつてゐるやうに思はれるだけで、ほんとうに其處に大きな茂みがあ

るのか、木が並んでゐるのかわからない。或る時は空が何かで傷つけられたので

あんなにも汚れてゐるのだと考へられたりする程、高く離れてゐる。その下の凹

地は鳩の胸のやうに若々しい野原で、都会から来た婦人たちは(まるでスパダ湾

のやうですわ)といつて驚く。そして軟かい敷物の上に坐つて、サンドヰッチや

チヨコレエトを食べながらこの地方の気候のよいことや、この夏にはオオガンヂ

イの蝶が流行するだらうと話してゐる。その間にもたえず緑の泉は旋廻し、輪転

機から新聞紙が吐き出されてゐるやうに光つてゐる。

 私は終ることのない朝の植物等の生命がどんなに多彩な生活を繰返してゐるか

を知ることが出来て目がくらみさうだ。全く人間の跫音も、バタやチーズの匂も

しないけれど、息づまるやうな繁殖と戦ひと謳歌が行はれてゐるのを見てゐるう

ちに、負けてしまひさうになる。私たちの住んでゐる外側で、しかもすれすれの

近いところで嚇かしでもするやうな足並を揃へ、わけのわからない重苦しいうめ

き聲をたてるので私はいつも戸外ばかりを見てゐなければならない。いつの頃か

らこんな風物にとりかこまれ、またその中に引きずられて行くことになつたのだ

らう。空気と空と樹木と草むらだけの他に何の噪音も胡魔化しもなく私が見える

ものといへばこれ等のものの流れるやうな色と形の大まかな毒々しさである。そ

れが不思議な迫力で私を入口から押し出したり、悲しませたり怒らしたりする。

 追ひたてられてでもゐるやうにぼんやり目を開くと、瞼のそばでその自然の挨

拶だけがとりかはされる。私は目が覚めたのだと思ふ。さうすると雨漏りのあと

のついた黄色な天井も、鋲で到るところに小さな穴がある壁も眠りから覚めよう

とする菫色の弱い光にぢき吸収され、どんどん後に退いてしまふ。私はなにかし

ら逃がしてはいけないものを失つたやうな気がする。子供が紛失したものをいつ

迄も諦めきれずに、めぐり合はせを持つあの時と同じやうに。それからまた捕へ

てみたいと思つてもそこは湯のやうに生温いだけで再び戻つて来るものはない上

半身が急に軽くなつたやうな気がすると、何事も思ひだせなくなつて、もはや過

ぎ去つたといふことがそんなに魅力をもたなくなる。そして森や太陽や垣根が明

け方の夢からとり残されたと思はれるやうに鮮やかに現はれるのである。

 周囲はいつものやうに緩やかな繰返しを続けるのだらう。この植物の一群の形

態は私と何等のかかはりもない筈なのに、私はなぜかしばられたやうに彼らの一

つ一つに注意しなければならない。梢の先が動いてゐるのを見てゐると眠くなり、

毎日ぶつぶつ独り言をしやべつてゐると日が暮れてしまふ。

 庭の中央の楡は婚礼のヴエールのやうに硬い枝を拡げ、その根元は鋸の歯の形

に雑草がとり巻いてゐる。荒れた叢をところどころ区別する斑点――ダリヤ、オ

ダマキ、オドリコ草、灯心草等がセルロイドの玩具のやうに廻つてゐる。さうだ、

空間は葉脈のつながりから落ちることが出来ない、もつれた網目の上に乗せられ

て。ただ草の茎と茎の間を蟻が行つたり来たりしてゐるそのやうな小さな営みが

殆ど空間を占めてゐることを考へる。こんな細く、そしてうす暗い道があつた

かしら、ちよつと指が触れると、あとかたもなく消えてしまふ針金を渡つて歩い

てゐる生活が人の気付かない處で休みなく営まれてゐる、栗の花がわけもなく群

がり散つてゐるとより見えない昆虫どもが幾度も同じやうに次の茎へ移る。お前

は何を考へてゐるのか、お前はどこへ行くのか、最初のスタートがどんなに無意

味であつたとしても、方向を見定めないうちに絶望しないやうに。

 

 当然やつて来るべきものが、コースを間違へないでまた帰つて来たと思はれる

季節が、しかも何の予告もなしにいつの間にか地球のまはりをめぐり、夥しい種

子の芽を吹き出す時に、私たちはどんなにか盛んな植物等の建設を望んだらう。

同じやうな速さで草木は短い羽毛を貪欲な世界にすべての分野をわかち与へ人の

目を別な方面へ導いていく。併し私たちの馴らされた視野が気付かぬ間に、見知

らぬものに置き換へられてしまつたために、強烈な色彩と自由を渇望するやうに

なつた。

 もぢやもぢやに縮れた緑の門の中から夜の明けるのが見える。靄の晴れる如く、

ゆるやかに流れて、大気の奥からやつて来る黎明は美しい迷宮である。あまり美

しいものを見ると誰でもよくないことを考へがちなものである。私たちの眠つて

ゐるうちに、悪い事があつたのではないかと思ふ。表面はおだやかさうに見える

があれは秘密を隠してゐるからだ、気味悪い不安をたたへた静けさ。早く叫び聲

をださなければ殺されるかも知れない。このやうに澱んだ空気に浸つてなぜ反抗

しないのだらう。われわれは呼吸が困難な程湿気の多い草いきれが地上から湧き

あがる中に憑かれて、閉ぢこめられてゐるのに、植物は人間からあらゆる生気を

奪つて、尽くることのない饗宴をはつてゐる。

 樹木は青い血液をもつてゐるといふことを私は一度で信じてしまつた。彼らは

予言者のやうな身振りで話すので。樹液は私たちの体のわづかばかりの皮膚や筋

肉を染めるために手は腫れあがり、心臓は冷たく破れさうだ。北国の農園では仔

牛が柵を破壊してやつて来るので麦は早く刈りとつて乾燥しなければならないだ

らうし、それから羊毛の衿巻も用意しなければと人々は云つてゐる。まもなく雪

が降つて木を枯らしてしまふのだらう。

 女達は空模様や花の色などで自分等の一日を組立てることばかり考へるやうに

なつた。お天気の具合が気になり、暖かさや寒さが爪の先まで感じられる。例へ

ば着物や口紅の色が、家具の配置までが、その時の窓外の景色と何か連絡があり

約束があるのだと考へる。常にそれらの濃淡の階調に支配され調和してゆかなけ

ればならないと思ふ。彼女たちは或る時は花よりも美しく咲かうとする。だから

花卉の色や樹の生えてゐる様子を見てゐると女の皮膚や動作がひとりでに変つて

ゐる。

 変化に富んだ植物の成長がどんなに潑剌としてゐることだらう、私は本を読む

ことも煙草を吸ふことも出来なくなつた。枝が揺れてゐる、焰々ととりまかれて

ゐる、と彼らの表情のどんな小さな動きをも見逃さないやうに、と思つてゐるう

ちに、私自身の表現力は少しも役に立たないものになつて、手を挙げたり、笑つ

たりすることすら彼らの表情のとほりを真似てゐるにすぎない。私のものは何一

つなく彼らの動いてゐるそのままの繰返しで、また彼らから盗んだ表情なのであ

る。どちらが影なのかわからなくなつた。私が与へたものは何もない。それなの

に彼らのすることはどんなことでも受入れてしまつた。かうしてゐるうちに私は

一本の樹に化して樹立の中に消えてしまふだらう。私は今まで生きてゐると思つ

てゐただけで実は存在してゐないのかも知れないのだ。単なる樹木の投影、昼の

間だけ地面を這つてゐるおばけのやうな姿、それもすぐ見えなくなつてしまふの

に。やがて樹木の思惟がわれわれの頭上をどんどん追ひ越していく。人は平衡を

失ひ、倒れさうになり、頭髪を圧へつけられるのか帽子をかかへてあぶなつかし

い歩き方をする。私は長い間人間に費やしてゐた熱情がつまらないものであるこ

とを知つた、それは丁度硝子の破片をのみ引掻いてゐた指の傷害を悔ゆる時のや

うに。

 どの人の顔もどの事件も忘れられてしまつてゐるのに、やはり最初に想ひ出さ

れるのは山の恰好とか木の大きさなどの自然の姿態であつて、それらから糸を繰

るやうに、いろんな出来事とか建物、食物などが引きだされ、人間はその間から

いりみだれて覗くだけで、衰へた記憶になつてしまふ。昔のことはひときれの古

びた空気だとして捨て去られるとしたら、老人にとつてどんな会話が最も慰めに

なるだらう。各々の人の胸のうちで瘡痕が輝くやうになるまで、遠くの方へ去つ

てしまふのをふりかへつてゐるのはきつと花の咲いてゐる方に青春があると思ふ

からだらう。

 雨が終日樹木を洗つて、地上との二重奏が始まる。どこからともなく、或はき

れぎれに韻律のある波が押し寄せて、草木を黄や赤に変へた。求めようとする、

とどまらうとする明るい音楽は季節を大分早めてゐるやうな気がする。話聲は聴

きとれなくなつた。まだ秋になつたばかりなのにストーヴの中には石炭が投げこ

まれる、家族のものはみなヴエランダへ出て見えない弦の奏でる単純な曲に耳を

傾けてゐる。空から鉄骨のやうな枝がぶらさがつて、日覆の布は取除けられる。

楡は裸になつた。ここでは時間は葉が離れる方へ経過してゐるやうに思はれる。

誰しも心では年齢を歎きつつ。一つの輪は賑やかな日の記念であり、過去へ続く

鎖ともなるから。色褪せたすべては空中に散乱して最後の歩調を待つてゐる。

々近づいてくる空しい響き、それは樹間をさまよふ落魄の調べであらうとは。

然の転移、また定められた秩序が唇の上で華やかな夢を望むのか。

 

 

 

季節

 

九月はやく葉らは死んでしまひ

焦げただれた丘を太陽が這つてゐる

そこは自然のテムポが樹木の会話をたすけるだけなのに

 

都会では忘れられてゐた音響が波の色彩と形を考へる

 

いつものやうに牧場は星が咲いてゐる

牝牛がその群がりの中をアアチのかたちにたべて行く

 

凍つた港からやつて来るだらう見えない季節が

しかもすべてこの心の一日が終らうとしてゐる

 

 

 

言葉

 

母は歌ふやうに話した

その昔話はいまでも私たちの胸のうへの氷を溶かす

小さな音をたてて燃えてゐる冬の下方で海は膨れあがり 黄金の夢を打ちならし

夥しい独りごとを沈める

落葉に似た零落と虚偽がまもなく道を塞ぐことだらう

昨日はもうない 人はただ疲れてゐる

貶められ 歪められた風が遠くで雪をかはかす そのやうに此處では

裏切られた言葉のみがはてしなく安逸をむさぼり

最後の見知らぬ時刻を待つてゐる

 

 

 

落魄

 

――きけ、颶風の中から芽をふくのを。

いま庭は滅びようとしてゐる。

をののく生命を吹き消す風が また木を軽くするのか。

地上に切倒された驕慢と怠惰の幹は 君の思念をあまりにも酷くさいなむ。

それはすべて偽りの姿だ 仮りに塗られたマスクだ。

烈日の海は開く 一群の薔薇を絡みつけ いはれた言葉だけが赦しを乞ひ なほ

生きようとしてゐる。

 

 

 

三原色の作文

 

 郵便局まで一哩ある。

 肉屋の前ではレグホンが嘴を折り曲げて、餌をあさつてゐる。硝子戸に地玉子

ありと書いてある。白いエプロンの親父が獣どもの筋の間から庖刀を光らして嚏

をしてゐる。小学校の裏門を通ると蜂の巣のやうに騒がしい音がして一オクター

ヴ低い国歌がオルガンの Key を離れる。それらが遠い風のやうな終りになると、

村は全く空中に沈んで無風地帯では鳥は啼かない。南天畑は漆を溶したやうにど

ろどろと美しい。陸軍の自動車隊のある丘が見える、其處は枯草が焦げた饅頭の

やうに丸い形をしてゐる。褐色の蜥蜴が天気の良い日に通風筒がケラケラケラケ

ラ廻るのを見てゐる。あれは何だ! クリームを塗つたばかりの長靴の整列。

は杉の林と笹藪と物干台のある道を悪い聲で唄ひながら通る。兵士が驢馬の背

上の果実がをかしいと云ふ。さういへば太陽は最初は眼のそばで照り、それから

背後にまはつて終日人間につきまとつてゐる安物の金ピカなのだが、どうやら

し歪んできた。草原の真中に瘋癲病院がある。屋根の上の旗は道を迷はないた

の目標だといふ話である。洗濯屋の自転車がそれを迂廻してやつて来るのがバ

コンから見える。サフランが一面に咲いてゐる屋上のその又上から絹のスリパ

が落ちて来る。私の耳のそばの河が私にいつもそんな夢を見せる。弦のゆるん

音楽が退屈な時間の裂け目から噴きだす。日曜日の午後の軽い手紙を期待する

いふことは牝鹿の頭の先のリボンが風に嬲られる時のリズムを愛するやうに楽

い。その白い刺が心臓に触れることを考へるのも愉快だ。裸の樹木は空の奥ま

透きとほつて眺められる。木の切株にあがつて、盲縞の袷に羅紗のマントを着

男が蝙蝠傘を杖にして、大勢の子供や大人に取り囲まれて威張つてゐる。『コ

気狂奴ガ、キサマタチハ知ツテヰルノカ、コノ道路ガイツ出来タノカ、コノ欅

歳ハイクツナノダ。オレガナ、オレガナ、大正六年ノ好景気ノ時ニ、サウダ、

場ニ失敗シナカツタナラ、ナポレオンガコーカサスニ来タトイフコトヲ聞イタ

デハナイ。オレノ舎弟ハ二千町歩ノ田地ヲモツテヰタ。ソレナノニ米ハ高イ。

ツテヰルナ、イマニキサマタチハ、コロンデシマフゾ ha ha ha ha ha 

…』なんといふ冷たい叫びだらう。歯の見えない口中が真赤にただれてゐた。

向ふ側の菓子箱のやうな病院の窓を早くしめなければ、あちらから悪い風が吹

てくる。若い者の脳髄を侵す寒さが。汽車の時間に間に合ふために駈けつける

どといふことは、あまり例外をつくらない。

 

 

 

海の花嫁

 

暗い樹海をうねうねになつてとほる風の音に目をさますのでございます。

曇つた空のむかふで

けふかへろ、けふかへろ、

と閑古鳥が啼くのでございます。

私はどこへ帰つて行つたらよいのでございませう。

昼のうしろにたどりつくためには、

すぐりといたどりの藪は深いのでございました。

林檎がうすれかけた記憶の中で

花盛りでございました。

そして見えない叫び聲も。

 

防風林の湿つた径をかけぬけると、

すかんぽや野苺のある砂山にまゐるのでございます。

これらは宝石のやうに光つておいしうございます。

海は泡だつて、

レエスをひろげてゐるのでございませう。

短い列車は都会の方に向いてゐるのでございます。

悪い神様にうとまれながら

時間だけが波の穂にかさなりあひ、まばゆいのでございます。

そこから私は誰かの言葉を待ち、

現実へと押しあげる唄を聴くのでございます。

いまこそ人達はパラソルのやうに、

地上を蔽つてゐる樹木の饗宴の中へ入らうとしてゐるのでございませう。

 

 

 

太陽の唄

 

白い肉体が

熱風に渦巻きながら

刈りとられた闇に跽く

日光と快楽に倦んだ獣どもが

夜の代用物に向つて吠えたてる

そこにはダンテの地獄はないのだから

併し古い楽器はなりやんだ

雪はギヤマンの鏡の中で

カーヴする

その翅を光のやうにひろげる

そしてヴエールは

破れた空中の音楽をかくす

聲のない季節がいづこの岸で

青春と光栄に輝くのだらう

 

 

 

山脈

 

遠い峯は風のやうにゆらいでゐる

ふもとの果樹園は真白に開花してゐた

冬のままの山肌は

朝毎に絹を拡げたやうに美しい

私の瞳の中を音をたてて水が流れる

ありがたうございますと

私は見えないものに向つて拝みたい

誰も聞いてはゐない 免しはしないのだ

山鳩が貰ひ泣きをしては

私の聲を返してくれるのか

雪が消えて

谷間は石楠花や紅百合が咲き

緑の木陰をつくるだらう

刺草の中にもおそい夏はひそんで

私たちの胸にどんなにか

華麗な焰が環を描く

 

 

 

海の天使

 

揺籃はごんごん鳴つてゐる

しぶきがまひあがり

羽毛を掻きむしつたやうだ

眠れるものの帰りを待つ

音楽が明るい時刻を知らせる

私は大聲をだし訴へようとし

波はあとから消してしまふ

 

私は海へ捨てられた

 

 

 

夏のこゑ

 

遠く見えるな 遠いな

羅紗のマントにくるまり

霧のやうに紫だ

さぶろう! さぶろう! と叫んでは

母親は戻つてくる聲をまつてゐる

夏の深い眠りのうへで蜥蝪が

風の吹く方を向いてゐる

 

近く見えるな 近いな

重さうな膝が動きだしてきた

村はづれで大人達はお天気を心配して

騒ぎ合つてゐる

だまりつこく蹲つて

一日中私達に噂をさせてゐる

断ち割ると花粉のやうに水が流れるのだ

 

 

 

季節の夜

 

青葉若葉を積んだ軽便鉄道の

終列車が走る

季節の裏通りのやうにひつそりしてゐる

落葉松の林を抜けてキヤベツ畑へ

蝸牛のやうに這つてゆく

用のないものは早く降りて呉れ給へ

山の奥の染色工場まで六哩

暗夜の道をぬらりと光つて

樹液がしたたる

 

 

 

The street fair

 

鋪道のうへに雲が倒れてゐる

白く馬があへぎまはつてゐる如く

 

夜が暗闇に向つて叫びわめきながら

時を殺害するためにやつて来る

 

光線をめつきしたマスクをつけ

窓から一列に並んでゐた

 

人々は夢のなかで呻き

眠りから更に深い眠りへと落ちてゆく

 

そこでは血の気の失せた幹が

疲れ果て絶望のやうに

 

高い空を支へてゐる

道もなく星もない空虚な街

 

私の思考はその金属製の

真黒い家を抜けだし

 

ピストンのかがやきや

燃え残つた騒音を奪ひ去り

 

低い海へ退却し

突きあたり打ちのめされる

 

 

 

1.2.3.4.5.

 

並木の下で少女は緑色の手を挙げてゐる。

植物のやうな皮膚におどろいて、見るとやがて絹の手袋を脱ぐ。