散文

 

 

 

ノエルを待ちつつ

 

 かしこい御婦人達はいつもお菓子屋のウインドウグラスに唇を押しあて、そのデコレエイシ

ヨンを眺めながら、まあなんてきれいなんでしよ!! とカン歎する。一度も食べたいと云つたこ

とがない。またお茶とお菓子の季節ですね。黄や赤や、或は白に紫に、何と花が咲いたやうに

美しく街の両側を埋めてゐることでせう。

 花といへばあなたは何がお好きですか。あなたをとりまく限りない色彩におぼれることのな

いやうに。夜会には是非かほり高い蘭の花をお進めいたします。造花を胸に飾ることはもう古

い。ひたひにすべり込んでゐる黒いベレの下から小さな小さな黄の菊の花を挿してレストラン

から飛び出るやうな気のきいたお嬢さんはいらつしやいませんか。その季節、その時のドレス

に似合つた生々した花、それこそあなたのシムボルでせう。夜更けて、自動車の窓から凋んで

クシヤクシヤになつた赤い花を捨て去る妙味をあなたは愛しませんか。ではサヨナラ。

 

 

 

魚の眼であつたならば

 

 つまらなくなつた時は絵を見る。其處では人間の心臓が色々の花瓣のやうな形で、或は悲し

い色をして黄や紫に変色して陳列されてゐるのを見ることが出来る。馬が眼鏡をかけて樹木の

ない真黒い山を駆け下りてゐる。私はまだ生きた心臓も死んだ皮膚も見たことがないので、と

ても愉快だ。なんて華やかな詩だ! 私は虫のやうな活字を乾いた一片の紙片の上に這はせる

時のことばかりを考へてゐたから。美しい色が斑点となつて風や海の部分を埋めてゐる。画家

の夢が顔料でいつぱいに染まつて、まだ生々しく濡れてゐるのだ。馬鹿気た落書きなんだらう

と思ひながら、あのずたずたに引き裂かれた内臓が輝いてゐるのを見ると、身顫ひがする位気

持ちがよい。跳躍してゐるリズム、空気の波動性。この多彩な生物画が壁に貼りつけられて、

眼の前で旋廻してゐるのは一つの魅力である。

 画家は瞬間のイメエジを現実の空間に自由に具象化することの出来る線と色をもつてゐる。

彼の魔術は凡てのありふれた観念を破壊することに成功した。太陽と精神内の光によつて細か

に分析された映像を最も大胆に建設してゆく。時には人の考へたこともなかつたものに形を与

へてくれた。又、いつも見馴れて退屈してゐるものをぶちこはして新しい価値のレツテルを貼

る。画家の仕事と詩人のそれとは非常に似てゐると思ふ。その証拠に絵を見るとくたびれる。

色彩の、或はモチイフにおける構図、陰影のもち来らす雰囲気、線が空間との接触点をきめる

構図、こんな注意をして、効果を考へて構成された詩がいくつあるだらうか。たいていはその

場の一寸した思ひ付きで詩を書いてゐるにすぎないのではないかしら。それでよい場合もある。

併しそんな詩は既に滅びてゐる。平盤な生命の短いものであつた。

 私たちは一個のりんごを画く時、丸くて赤いといふ観念を此の物質に与へてしまつてはいけ

ないと思ふ。なぜならばりんごといふ一つのサアクルに対して実にいいかげんに定められた常

識は絵画の場合に何等適用されることの意味はない。誰かが丸くて赤いと云つたとしてもそれ

はほんのわづかな側面の反射であつて、その裏側が腐つて青ぶくれてゐる時もあるし、切断面

はぢぐざぐとしてゐるかも知れない。りんごといふもののもつ包含性といふものをあらゆる視

点から角度を違へて眺められるべきであらう。即ちもつと立体的な観察を物質にあたへること

は大切だと思ふ。詩の世界は現実に反射させた物質をもう一度思惟の領土に迄もどした角度か

ら表現してゆくことかも知れない。

 私は今まで一つの平面の対角線の交点ばかりを見てゐた。その対角線に平行する空間を過ぎ

る線のことや対角線に垂線を下した場合などに気付かない時が多かつた。黒か白の他に黒でも

ない白でもないぼんやりとぼかしたやうな部分がこの空間をどんなに占めてゐるのだらう。そ

んな網の目のやうな複雑な部屋の窓を開けることはまたどんなに楽しいだらう。私は自分の力

でこじ開けなければと思ふ。

 展覧会では完成した絵をいくつも見た。なる程うまいかも知れない。併しそのやうな絵は面

白くない。それは結局一つの区域内の完成、運動の停止であつて、行き詰つてゐることを語る

以外の何物でもない。私はむしろ破綻のあるものに魅力を感じた。その時の動揺は将来性を示

してゐるやうに思はれた。それから又随分映画の影響を受けてゐる作品が多いと思つた。シル

ウエツトや黒や白の明暗の使ひわけなど。落ちぶれたゴツホや太陽の二つあるやうな絵もあつ

た。

 疲れて足が地面につかないやうな気がしたけれど外へ出たら若い緑が目にしみた。

 

 

 

私の夜

 

 また夜更かしをする癖がついてしまひました。隣りの部屋からそつと兄のシガレツトケース

を持ち出してゴールデンバツトを吸つてゐると目が覚めて少しも眠くありません。おいしくも

なんでもないのに煙草を吸つてぼんやりしてゐることが楽しいと思ふやうになりました。夜が

どうしてこんなに好きになつてしまつたのでせう。空気がねつとりと湿つて窓枠や扉にのしか

かつてくるやうな気がいたします。昼の間輝いてゐたものが全く見えなくなつたり、大地を叩

くやうな音響が聞えてまゐります。きつと明るい時、大勢の人が道を歩いた足音やおしやべり

の聲などが、ほのかな湿りと共に、まだ残つてゐるのではないでせうか。どこかで昼が吹き消

された、ただそれだけのことなのでせうになんといふ変り方でせう。すべては死んでしまつた

のではないかと思はれろ程、無言の休息をつづけてをります。あらゆるものは夜の暗がりに溶

けこんでしまひ、私の耳のそばでは針が縫ふやうな時間が経つばかりです。その中にぢつとし

てゐると、私自身も着物を脱いだやうに軽くなつて、がんばりも、理屈も、反抗や見栄もいつ

の間にか無くなつてほんたうに素直な善良な人間になるやうに思はれます。他人から投げられ

たどんな鞭だつて赦せるやうな気がします。誰かが泣いて見ろといへば大聲をあげて泣くこと

も出来ます。私はいつも長い間かかつて集めたほこりだらけの石塊を出して遊びます。伊豆の

島から拾つて来た白い粉の出る軽石や、黒耀石、瑪瑙のかけら、葉脈の浮いてゐる化石、アイ

ヌが昔熊を射る時用ゐたといふ尖つた矢の目石など化粧箱に一杯たまりました。それらを着物

の袖でこすつてゐると、不思議に澄んだ光を出します。神秘的な夜がみんな一つの石ころの中

に凝り固まつて入つてゐるやうな気がいたします。

 それから又私は木の葉の色や海の暗さや眠つてゐる人のことを考へます。この世の中で一番

恐ろしいことや凶悪なことが行はれるのも広い闇の中だといふことに気づきます。夜の向ふ側

で、実際はもう起りつつあるのでせう。そしてそれを見張つてゐるのは私ひとりです。

 

 

 

童話風な

 

 小さい時からよく夢を見る方でありました。目が覚めてもそれらの幻覚を失ひたくないと大

切らしく数へるやうにしてしまつておいて顔を洗つたり、髪を結んだりしてをりました。私の

話といへば夢で見たことばかりなので、その頃、私の友達がまた夢のことなのねと云つては笑

ひました。誰の足跡もついてない雪の道を見たばかりの夢を語りながら通学したときの事を想

ひ出しますけれど、毎日ずい分沢山の夢を見たものだと思ひます。

 現実ではとても鈍い聴覚や視覚が夢の中ではまるで別なもののやうにヴイヴイドで、いたづ

らで、色んな働きをしてをりました。色彩などいつも鮮明なのは不思議だと思ひます。昔の古

びた写真でも見るやうなセピヤ色の夢があつたり、海が緑色だつたりしました。夜眠る時昨日

の続が見られますやうにとか、あの音楽がもう一度きこえればいいとか、ヨーロツパへ行けま

すやうにとかと願つて目を閉ぢる時もありました。一番夢をもたなければならないやうな子供

時代の現実の生活が私にとつてあまり失はれ過ぎた、少しばかりみじめだと思へるやうなこと

ばかりだつたので、こんな風に人の眠る時間でも私の心は起きて、自分で夢を造り、それを最

も自然らしく愛したり楽しんでゐたりしたかつたのでせう。そして夢の中にだけ私が住んで、

笑ひ、空想し、そこから一歩も外へ出ることが出来ないやうにしてゐたかつたのです。

 明るい昼の間はぼんやりしてゐるのに、夜になると私の空つぽの頭の中へ、素晴らしく精密

なエスプリが入つて来て、色々とうめあはせをしてくれたのです。夢の中では死んだ人も年齢

をとりませんし、こはれたものも形があるし、時間的な、空間的なすき間のやうなものも感じ

られませんし、すべてが現実の進行をしてゐるといふことは喜ばしいことだと思ひます。

 朝になると逃がしてはいけないことばかりのやうな気がします。

 いまはあまり夢を見ません。見てもすぐ忘れてしまひます。疲れてゐるからではなく、夢を

見ても最初に聞いて貰へる友達も居なくなつたし、そればかりか現実は私にとつてすべて夢だ

からです。

 

 

 

日記

 

 

 十月十六日

 朝早く窓をあけたら、ここの病院の門から葬式自動車が出ていつた。煙のやうな雨の中を黒

いかたまりが動きだすのを見た時、胸のどうきがとまつたやうな気がした。外を見たことを悔

いた。午後、青木先生が廻診のとき手術をしなくていいとおつしやる。手術をして胸の下の悪

いところを切つて切りきざんで私を苦しめてゐた病気といふ小虫を征伐してもらひたかつたの

に、残念で不安でたまらない。一日中あさの黒いかたまりが目に付いて気分が悪い。

 

 二十一日

 午前中気分が悪くうつらうつらと眠つてしまふ。熱が少し上つてゐるのに夕方から元気が

る。パイナツプルの罐詰を切つて貰ふ。食後手足を洗つて貰つたら、よけい気持がいい。ユリ

さんが来る。大塚へ靴下を買ひにゆくのだといふ。ヌガーを摑んでたべながら帰るのだといふ。

すぐその後へ兄さんが来る。たいへんいそがしいとのこと。郵便物をカバンの中から出してく

れる。九時すぎまでこの別荘以外の話をしてくれる。大部夜が短くなつたやうな気がすると喜

ぶ。睡眠薬を一服貰ふ。十二時頃まで雑誌を読む。それから薬をのんで眠る。一時頃急に苦し

くなつて、注射をしてもらふ。

 

 十月二十二日 晴

 ゆふべの注射が効いてか、とてもねむい。朝日が一杯窓から入つて来る。ベツドの上で日光

浴をする。汗だくになつて、体中秋の日を浴びてゐると、とても気持がよい。今日で入院して

二週間目になる。稲田先生の廻診の日なので廊下をすぎる人達もいそがしさう。新しい白いシ

ーツに更へて貰ふ。青空をとんぼの群が上へ上へとあがつて消えてしまふ。どこからあんなに

沢山とんで来たのだらうと不思議に思ふ。窓から見える道を学生や勤人が健康さうな四肢を動

かして通るので眺めてゐると、私も太い脚や手がほしいと思ふ。腕を上に振りあげて二三度ま

はして見たら、やせて黒くてきたならしく感じられていやになつた。夜ねむれなくて病院がい

やだといつたら、青木先生が家へ帰りなさいとおつしやる。今日で病名が決定するらしい。ユ

リさんが夕方来る。学校の話をして帰る。兄さんは来なかつた。

 

 十月二十三日

 毎朝注射のさめない妙にうとうとした気持で目がさめる。此の頃のやうにいい朝をむかへる

ことはうれしい。今日は食欲があつて、何でも食べてみたいやうな気がする。X光線の治療を

うける。三十分間。夕食は気分がわるくて進まない。X光線のせゐかと思ふ。食後胸に濡れ手

拭をのせて、眠つてゐるとユリさんと兄さんがくる。ユリさんは箱根へ行つたときの写真の引

延ばしたのや学校の写真をもつてくる。野沢さんやみんなでアルバムを見る。秀夫さんの日光

のお土産を貰ふ。兄さんに赤かぶの千枚漬をたのむ。お午にはお習字の青山先生の妹さんが見

事なザクロをもつて御見舞においでになる。ザクロを見るのは始めてと母がよろこぶ。十一時

にナルコポン注射、熟睡。二週間目にはじめて階段を下りて放射光線室へいつたこと特記。

 

 二十四日

 今日一日どうして暮したのかしらと考へても何も考へられない程単調な気分の悪い日ばかり

で、空を見ながらベツドの上にゐると、過ぎ去つたこともこれから来ることもみんな一つにな

つて、楽しくない。雲を見てゐたらムツソリーニの顔に見えたのでをかしかつた。レントゲン

をかけるとどうも疲れるやうな気がする。消燈してから兄さんが来て、ベツドの端に腰をかけ

て、みんなね静まつた中で小さな聲で話をする。おいしい漬物がほしい話をする。読みたい本

をたのむ。今日は百閒先生の随筆を半分程読む。苦しいのをがまんして注射をしなかつた。自

分の意志を訓練してゐるので薬の効果なんて何の役に立つのかと思ふ。

 

 二十五日

 物の言ひたくない日だ。午前中から眠つてゐると先生に起こされる。レントゲンの部屋へ行

く為廊下へ出て階段を下りると、看護婦さん達が元気で明るくたち働いてゐるのが不思議にま

ぶしく思はれた。自動車の走つてゐる街路を見てゐたら駈け出したくなつた。百閒先生の随筆

の中に漱石の臨終のことが書いてあつて、死んだ漱石を解剖したら胃が破れて出血したのが腸

にどつさりたまつてあつたさうだ。涙が出る程たまらなくなつた。夕方ユリさんが来る。青山

のお婆さんのなくなつたことを知らせる。仔犬がまだ目を開かないとのこと。玄関まで送つて

ゆく。

 

 二十六日

 午後早く兄さんが来る。少し程経つと中野のをばさんが姉さんと奎と一緒に来る。果物の籠

をいただく。奎が英語を三つ覚えたと言つてみる。ドツグ、キヤツト、ピイナツツ、けふは大

変工合がいいので嬉しい。奎がベツドの上で流線型やお人形さんをかいて見せる。夕刻、小林

恒子さんがいらつしやる。姉さんが帰る頃からの雨がいよいよ本降りになる。夜廻診は青木先

生、がまん出来るかと言つて、笑つていらつしやる。今夜は注射をしないでがまんしてみよう

と思ふ。昼、眠らなかつたからうまくゆきさうだと思ふ。八時頃、小野さんがユリさんと来る。

夜中に病院の外で、大喧嘩をしてゐるので目がさめる。律子さんから来信。

 

 二十七日 雨風

 時々雷を伴ふ大嵐。窓から見える大木が揺れるのを見てゐる。天候のせゐか、気分が勝れな

い、聲を出すのも億くふだ。大雨の中を兄さんが来る。今日は誰もこないときめてゐたので嬉

しく思ふ。お腹の工合がどうも変だ。

 

 二十九日

 午前中姉さんが奎を連れて見える。バラの花とおもちやの猫をもつて来て下さる。奎は例に

よつてベツドのわきで面白い絵を描いて帰る。レントゲンをかける。いつものやうに疲れを覚

えない。稲田先生の廻診夕方おそく。兄さんのせき払ひは聴えなかつた。夜通し湿布をしてい

ただく。注射をしないですむ。母さんは殆ど帯も解かずに看護してくださるのでただもう有難

いと思ふ。

 

 三十日

 いい天気だ。ただそれだけで片方の目から涙が出てくる。朝飯をとるときの苦しさつたらな

い。午後からお腹のいたみが和らぐ。眠つてゐるうちに兄さんが来てゐた。余市の叔母がリン

ゴを送つてくれた話やら、色々元気をつけてくれる。まはりの人達が仕事をなげすてて私の為

に世話をしてくださるのに、私は病気をしてゐるのは自分でないぞと思つてゐる。どうしても

自分の病気のやうな気がしない。早くなほりたい。世田谷のせまい食卓でみんなでごはんが食

べたい。

 

 三十一日

 一日中痛んで注射を三本もする。姉さんが見える。保坂の家へよるとのこと。レントゲンを

かける。苦しい日であつた。太陽がまぶしくてたまらない。

 

 十一月一日

 兄さんが湯ヶ原へ行くといふし、今日は誰も見えない静かな日だ。向ふの道を学生がぞろぞ

ろ通る。祭日だし、天気がいいし、部屋の中にゐる日ではないなと思ふ。キイランドの短篇集

をよむ。仲々味がある。夜パピアト注射。

 

 十一月二日

 姉さんと一緒に百田さんの奥さんがおいでになる。カーネーシヨンをいただく。仄かな匂が

部屋一杯にしてくる。保坂さんの奥さんや三郎、康雄が来てくれる。熱が少しあつて、腰が痛

くて立つことが出来ない。リンゴや梨をいただく。ひるは大部大聲でおしやべりをする。